fineの視界

テーマ未定の雑記帳

目的は必要か

fineです。

連続記事作成。フラフラと思うままに書き綴る、整っていないであろう乱文にて。

 

 

目的を持って行動する、というのが苦手です。

まず、目的設定や目標を持つ、自分のやりたいことを認識する、ということから苦手。

更に、その上できちんと行動に移して継続する、ということも苦手。

効果的な意味のある行動をとる、というレベルになると、より程遠いという感じ。

 

今まで頑張れた時のことを思い起こすと、何かをより良くするとか何かに向かうというよりも、現状への不満や逃げだしたいことからの逃避の方が、強い動機付けになってきた気がします。せずにはいられない、それをしない方がつらい、という方向性ですね。

その状況は正直苦しいものだけど、わき目もふらずに突き進める感じは、客観的にはある意味うらやましくも感じます。

 

今、大して立派な生活をしていなくとも、それなりに満足してしまっていることが、頑張りきれていない感じがする理由なのかな、と何となく思う次第です。

それともこの状況は、何かしら頑張ってきた成果なのかな。ただの幸運なのかな。

自分では、分からないもの。後になったら、分かるのかもしれない。

 

何となく気になることや、ちょっとやってみたいなあと思うことなら、いろいろあるような気もするけれど、本当にやりたいと心から思っていることなんてきっとあまりなくて。

少しつまずいたり、多少の苦労や面倒さだけですぐにやめてしまうようなものは、目標と呼ぶには弱いだろうし、自分の目的をきちんと捉えられていない証拠ですよね。

もうずっと、それこそ思春期の頃から、長年残り続けている課題な気がします。

「自分は何をしたいのか。そのために何をするのか。」

はっきり見えてくる日は来るのかな。見ようとするほど見えないもので、他のことをただひたすら頑張っていたら、急に見えるということの方が期待できる気がする。

 

ついつい、とりあえずできることをする、できないことをできるように頑張る、という風に何となく行動するのだけど、その目的がどこにあるかを置き去りにしがちだと、達成しても満足感は得られにくいもの。

それでも行動しただけ十分な気もするし、それではやっぱりだめな気もするし。

なんなんだろう、この感覚は。

 

日常をそれなりに過ごして、なんとなく楽しかったり苛立ったりという日々が、ありがたくもあり不安でもあり。

 

考えても仕方のないことは考えない、それは正しいかもしれないし誤りかもしれない。

考えても分からないことを考え続ける、それは価値あることかもしれないし無意味なことかもしれない。

他人の判断こそ重要か、自分の感覚こそ重要か。

きっと、どちらも重要で、どちらもそれだけでは足りない。

 

いろんな人が、いろんなところで、いろんなことを言う。

本当に、面白くも面倒で、やっかいで、微笑ましい。

きっとそういうものだよね、なんて、不安定さをある程度受け入れられるようになったことが、私の中で一番の変化。

これを成長と呼ぶのか劣化というのかは、きっとやっぱり捉え方次第。