fineです。
帰宅してから、悲しいニュースを目にしました。
人の人生は分からないものです。
悲しいニュースは日々いくらでもあるけれど、想像もしていないところから飛び込んできたから、衝撃が強くなるのかな。
物思いにふけること小一時間。
気持ちの沈みを回復させるべく、全く無関係の明るい動画も見てみました。
楽しく笑えるのに、少し寂しい気持ちは残るもので。
むしろ明るさを提供してくれている動画の中のその人たちも、何かしら抱えているのだよなと、考えてしまう面が出て。
今までだって、過去にもいろんな人が、似たような謎を残してきているんだよなと思います。
いろいろな分野で、いろいろな人が、残してきている謎。
私が今まで生きてこれたのも、運が良かっただけみたいなものかもしれない。
ありがたい人生です、本当に。
悲しい時には、逆らわず悲しい気分に浸るも良し。
反対の、明るいもので癒されるも良し。
その両極の揺れを意識しつつも、翻弄はされ過ぎず。
そういえば、「不安定さは、安定を目指すから生じる」というような意味の言葉をどこかで読みました。
やじろべいのように、真ん中で安定しようとするからフラフラする。
いっそどちらかに傾いてしまえば、ストンと片側に落ちれば、揺れはなくなる。
悲しい気分の時は、一旦どっぷりその感情に浸かるのも良いのかもしれません。
……ああ、でも、それが行き過ぎた場合が、取り返しのつかない選択になりうるのか。
フラフラと均衡を保つのも、片側に落ち切ってしまうのも、ちょっとの差。
ゆらゆらと安定を目指す不安定さに挑み続けるのは、骨の折れることなのでしょう。
みんな、よくやっているな、とね。
私は基本的には、明るく前向きが好きなのだけど、
悲しみや苦しみといった陰の側面も、否定できない対となる存在。
フラフラ揺れるやじろべい。
昔ほど揺れてはいないけれど、時折やはり揺らぎます。
きっと、生きていればこそ。