fineです。
昨日、記事を書きながら「何かこれだと良くないな」という感じがしていましたが、
自分目線だけで読み手の欲しい情報がなかった点が問題ですね。
読み手の欲しい情報を書く、伝わりやすい文章で書く、ということが大事なようです。
とはいうものの、まず文章を書くこと自体に慣れていない私なので、
最初はあまり気を張り過ぎず、多少だめな文章でも、書くこと重視で進めようかと。
もちろん、ずっとそのままではいけないので、訓練だと思って試行錯誤と矯正修正をしていかないといけないのだけれど。
私が好きな作家さんは、「仕事だから文章を書く」「書きたいことでなく求められたことを書く」と公言し、かつ売れる作品をコンスタントに出している人です。
それでいて媚がなく、考え方にブレがないイメージで、すんなりと腑に落ちる言葉を読ませてくれる作家さんなので、そこを目指したいと思います!
恐れ多くて名前を出すのもはばかられるので、もっと思い通りに文章を書けるようになったら、小説レビューも挑戦したいな。
あと、読み手を意識するのは大事なのだけど、初め3カ月ほどはブログアクセス数は見ない方が良いそうです。最初はアクセスがないのも当たり前だそうで。
それはむしろ、私にはありがたいなと思います。恥ずかしからずにどんどん書ける!
(などと言っていると、きっと後から読み返した時、一気に記事を削除や編集したい気持ちにかられそうですが。)
そういえば、その作家さんはタイトルも重視する方です。
むしろ「タイトルが決まれば8割は終わったようなもの」という感じの言葉をどこかで言っていたような? 正確な表現は忘れましたが、そのようなことを言っていました。
つまりは、「何を伝えたいか」「何が主題か」という点さえ定まれば、そこに向かって詳細をつめる形で文章を構成するだけ、ということなのでしょう。
本やネット等いろいろなところで、そういった内容は良く書かれているのだけど、分かった気になるだけでなく、実際に行動としてできるようになりたいものです。
「伝えたいことがある」ということは、文章を書く上で一番大事なことですよね。
その時には、他人の目を意識はしても、踊らされずに主張を通す強さも必要なはず。
私は子どものころ、文章を書くことが大嫌いだったのだけれど、それは「相手が欲しがっている内容で、伝えたいことは特にない」という状態を、自分で感じてしまっていたからだと思うのです。
大人は子どもに、「思ったことを素直に書けば良いんだよ」などと軽く言ったりしますが、あれは言わない方が良い。大人はそう言いつつも、実際には子どもの本当に素直な気持ちより、「あるべき姿勢」を重視しがちだからです。ばか正直な気持ちを書こうものなら、大概は指導という名の批判が入ることでしょう。もちろん、中には大らかに受け止めてくれる人もいるかもしれませんが……。受け入れてもらえる期待ができない相手に、素直に言葉をさらけ出せるほど、子どもはバカではないのです。むしろ大人よりも、きっと読み手を意識します。「こう書いたらどう思われるか」「これを書いたらどう評価されるか」くらい、普通に計算するはずです。
自分が思っている本心と、相手が書いてほしいと望んでいるだろう内容や方向性に差があり過ぎると、どうしても書く作業は苦痛となり、当たり障りのないことか、調子のよい嘘を書くしかなくなります。それは悲しく、もったいないことだと思う。
大人は子どもに(というより他人は他人に)、文章を「書かせよう」としてはいけないのではないのかな。それよりまずは、相手が何かを書いてきたときに、受け入れることから始めることの方が必要なはず。
受け入れてくれる相手がいて初めて書く楽しさを知り、受け入れてもらえるはずというその信頼が文章能力を育むことに繋がるのでしょう。
……なんだかまとまりなく、文が暴れてしまった感です。
スキル不足と自分への甘さが現れていますね。これで良しと公開するのは良くないのだけど、まずは書くが目標なので、恥を忍んでUPしましょう。
悔しさは明日の糧に!