fineの視界

テーマ未定の雑記帳

時を経ても残るもの

fineです。

ふんわりぼやっとしたことを、曖昧なまま書くことが好きです。

伝える気のない自己満足の世界が強まりつつあるこのブログは、当初の目的からは遠ざかりつつありますが、継続しやすい方向優先ということで、こんな感じで続けてみようかと思います。

 

さて、本題。

声を掛けるって大切だ、という話をしたかったのだけど、書く内にやはりぶれました。

掛けられた言葉は残りますね、という話かな。

厳密には、単なる声掛けというより、存在を気に掛けるという意味合いですかね。

正直、私から他人にできたわけではそうそうないのだけど、してもらえる幸運な立場にいたので、そう思います。

 

高校時代を振り返ると、思い出すクラスメイトがいます。(いや、実は名前は自信がないけれど。ニックネームは覚えています。)

当時は人を完全に拒絶していた時期でしたが、そっけない態度を取る私にも、数度声を掛けてくれた人がいたなあと。思い返すと、全く心を開かず悪いことをしたなと申し訳なくなるのだけど、今思うと、ありがたいなと感謝したくもなるのです。

特に仲良くなったわけでなく、むしろ私が拒むものだから、離れていったというか、そっとしておいてくれたというか……という程度の距離感の人でしかないけれど。

相手にとっては、もはや忘れ去った過去か、むしろ苦い嫌な記憶となっているかもしれないけれど。

 

もし今、誰かを気にかけ、その誰かに拒絶されている人も、将来その人は、気にかけてくれたことを感謝する日がくるかもしれないので、あまり気を落とさないでいいと思う。

人の優しさが受け入れられない人も、きっといつかは受け入れられる日がくるかもしれない。

 

自分では忘れているようなことを、相手は覚えているかもしれないし、

相手は忘れているようなことも、自分には意味あるものとして残るかもしれない。

 

 

私の言葉や行動は、誰かの未来に影響を残せるのか。

きっと、残そうと思って残すのは難しく、「そんなとこ?」と思うような面で残ったりもするのでしょう。

 

残らなくても、それはそれで良いのです。

残るかもしれないという、ささやかな思い込みを持っていたいなと。

 

以上、唐突に思ったのでありました。終わり。