先の記事から連想したことも書いてみる。
書く内に、テーマが変わった気がするのでタイトルに迷った。
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学生時代、嫌だとよく思った言葉でもあったりするのです。
「今が大事な時」
教育現場で、頻繁に使われている言葉だと思いませんか。
新年度・新学期には、
「始めが肝心」「最初につまずくと後がきつい」「スタートダッシュが大事」と言う。
2学期には、
「中だるみに注意しろ」「ここで人と差がつく」「夏休みは成長のチャンス」と言う。
3学期や年度末には、
「最後の踏ん張り」「まだ間に合う」「ラストスパートをかけよう」と言う。
もうね、いつもいつも、言い方を変えているだけで、大事じゃない時なんてないやんか、と思っていたものです。
ちなみに一番嫌いだったのは、最後の方で聞く「まだ間に合う」ですね。
なんだろう。分かりますよ。何かの理由で頑張れていなかった人や、頑張っていても成果が思うようにすぐには出てこない人への救済の言葉ですよね。
だけど、そう聞くと、継続して頑張ってきて成果を出し続けた方はなんだったのかと。
今までの努力なんて、最後の追い込みに比べたら無駄だと言われているような、報われない感じというか、最後だけ頑張った人に抜かされうるのは嫌だなと感じたものです。
今は、年も重ねてきっと多少は丸くなり、むしろそこまで頑張っていない側に回った気もするので、救済の言葉もありがたいけれど。
関連して「バカだったけど●●に受かった!」「勉強できなかったけど高得点取れた!」等の表現も好きではないし気にかかる。そこは、前提が間違っていると思う。
もし、最終的に成果が出る人なのであれば、決してバカだったんじゃないと思うし、勉強できなかったんじゃないでしょう、と。
「やっていなかった」からできなかった、やったからできるようになった。
多くの場合、基本的には、ただただそれに尽きると思います。
(中には、真面目にやっていても、やり方の問題や本当に知的障害の影響等でうまくいかないパターンもあるかとは思うけれど。)
塾や教材の売り文句としては「勉強しない子をする子に」「続かない子を続けられる子に」という表現の方が好感を持ちます。
学校以外でも、そうですよね。
各種運動、歌、ダンス、楽器の演奏、演技、カメラ、絵、文章、料理、服飾……etc
どんな分野も、何かを身につけるためには、やってみてかつ継続することが必要です。
それこそ、例え天才肌や素質があっても、継続しなければ継続する秀才には負けるでしょう。(継続する天才に継続する秀才が勝てない問題は、また別物と捉えています。)
何に対しても「できる」「できない」という表現は、気軽に使うのは避けたいところ。
才能や向き不向きでの出来の違いはどうしようもなくあるだろうから、そこを指しての「できない」という表現ならば仕方ないけれど、できたら他の言い方を考えてほしい。
やってもいない、続けていないからできないことは、できないと言わずに「やらない」か「やりたい」だけ。
言葉はきちんと使いたい。
そしてそれ以上に、言葉ばかりあれこれ気にせず、身になる行動をとりたいです。